希望への支配

  人は、同じだけ風を感じ。 同じだけ陽射しを浴び。

そして、同じだけ雨に打たれる。

 

 いわば。それは。この世に生を受け、人として生きる権現であり、誰の手も借りず、誰の承諾も必要としない。人権そのものだ。

 

 しかし、どの世界も、世の中も、人権などと言う言葉が尊重される一日が、存在するのであろうか…?

人を虐げ。踏みつけ。己の欲求、思想を押し付けるこの世界。      笑った顔がたったその一瞬でこの世にサ・ヨ・ナ・ラをを告げる惜別となるということを誰が予知出来るのであろうか?      何故に…?出口の見えない、道をつくるのであろうか?    血を流し、涙を流し、命の惜別をまのあたりにしなければいけないのか!!      人は…。   誰しも産まれ、命を与えていただいて、天命をまっとうする権利がある…。

 

 なんの使命も、権限も、授かっていない者たちに、その大切な命を奪われる筋合いはない。断じてだッ

       信じる。信仰する神が違う等と言う違いだけで争うな。感情的になるな。       パンが丸いか。平たいか。細く長いか。米を食べるのか。  それと一緒にするな。   神様は、元々。一人なのだから。伝道し、それぞれの地域にて、理解の過程で、間違った理解をする者たちがいただけのこと。

         これだけは、確かに断言できる。

   神様は、人が人を殺めたり、醜い争い、間違った独りよがりをする者たちに権限を与えたりはしない。

 この奇跡の星、地球を人以外の生命、自然を管理するよう、私達人間に託してくださっただけのこと。

 

   この世界に、誰一人として、特別な人間など、存在しないのだから。  奢り、高ぶっている者たちヘ、あなた達は、間違いに、いい加減、気付いたら!!

      平和とは、愛と平等という言葉からなるんです

        もうッ。ツマラナイ。無意味な事。辞めよう。