✨お母さんの言葉😋

 あたりまえの事だが、自分を生んでくれた母がいる。😊生まれてから、様々な生き方をしようが何であれ、この世界に誕生させてくれた母親がいる✨。それは紛れもない事実である。

 幼少期に、甘えた記憶がほとんどないのだ。長男として生まれ、弟が二人いて、僕は、長男だからと、良くも悪くも育てられた。弟達が、母に甘える姿を覚えている。僕は、出来のいい息子とは程遠く、いつも、母に怒られるバカ息子だった😅小学校の頃、野球をしていた。6年生の頃かなぁ~✨お弁当のおかずの話しをした✨それまでの僕の弁当は、のり弁か鮭のおにぎり🍙が普通だった😅ある日、母に言った。おいも(俺って意味)おかず、持って行きたい。と母に話した✨母は、極端な人で、息子に不憫な思いをさせたかと思ったのだろ✨おにぎり🍙の他に、タッパーにローストチキン🍗2本、分厚い豚ロース肉二枚にフランクフルト2本を僕に持たせた。✨普通ならば、ものすごくヘビーなおかずだが、あの頃の小学生だった僕らには、大変なご馳走だった。✨試合の時も観に来てくれた。✨母は、17歳という若さで僕を生んでくれた。普通、こう聞くと、ヤンキーだったの?とよく言われる。✨母は、長女として生まれ、九十九里で育った。家の家計が苦しく、小学生の頃から、大人に混じって働き、家を支えて生きてきた。向こう気が強くて、働き者で有名だったそうだ。でも、幼少期の頃は、食べるのも遅く、とても、おとなしい子で、どちらかと言えばトロイ、そんなそんな幼少期だったらしい。こんな話しがある。幼い体で働き者だったから、どこのテレビ局かは、分からないが2局程、取材に来て、特集を組んで放送されたことがあるんだとか。めざしのさっちゃんてッ、タイトルだったそうだ。✨そんな母が、僕が中学校に入学した時、帰りに食堂でご飯を食べたねッ!母は、凄く嬉しそうに、食べていたのを覚えている。😊

 15歳で家庭の事情で上京し、今月こそ、必ずシャンプーを買うつもりが、いつも仕送りで、買うことすらできなかったそうだ。自分の親、兄弟達のため、だけに働きづめの毎日だったそうだ。僕の祖母にどうしても、嫁にと説得され、本当だったらもっといい家に嫁げたものを?、、、、😂

 そんな母が、僕が今の仕事に入る時に言ってくれた言葉がある。😊✨つらい時が必ずある。でも、絶対に親の顔を思い出しては駄目だ。思い出せば帰りたくなるから✨と僕に言ってくれた。その言葉は、母が自分を押し殺し、歯をくいしばって生きてきた証なのだ。

 その言葉をかけてくれてから、もう35年が立つ、今でも思う。あの言葉を伝えてくれたおかげで、辛くとも、悔しくとも我慢して生きて、これた気がする。🤗幸子という名前、本当に幸せな子という意味なのか?僕にも分からない。🙄でも、これだけは、ハッキリと言える。✨僕を生んでくれてありがとう。✨少し前にこう言ってたね。私は幸せだ、子供たちを育て上げることができて、お腹いっぱい食べさせることができたのだから✨

 あなたの息子は、どんなに辛くても、諦めず戦い続けて生きているよッ。お母さんのように✨🌼